そもそもポピュリズムってどういう意味なんですか?
この記事によると、さる令和元年7月21日の参議院選挙において2議席を獲得した山本太郎氏率いる政党「れいわ新選組」は、左派ポピュリズム政党なのだそうだ。
要するに左派ポピュリズムには経済的な格差への不満を吸収するだけでなく、価値観を体現する政党という性格がある。「れいわ」が難病患者を優先的に当選させたことは、まさにマイノリティーの自己決定権を認めるという価値観を体現するものと言える。
ここを読むと「左派ポピュリズム」について肯定的な評価が書いてあるように読める。しかし、よく読むとこれは「左派ポピュリズム政党」の説明のようにもみえる。
また、右派ポピュリズムってなに?左派ポピュリズムと右派ポピュリズムの違いってなに?そもそもポピュリズムってなに?となると、こちらの記事だけではよくわからない。わたしが頭が悪いだけ?
そこで、上記記事にて引用されている元記事の雑誌を購入して読んでみた。
その際の作業仮説は下記のとおり。
- 「左派ポピュリズム」「右派ポピュリズム」「ポピュリズム」についての論評と読みうる部分をピックアップする
- 「左派ポピュリズム政党」「右派ポピュリズム政党」「ポピュリズム政党」についての論評はとりあえずすっとばす
- 「ポピュリズム」を国民の側の動きとしてとらえ、その意志をくみとる「ポピュリズム政党」「ポピュリズム政治家」という位置づけで考える
「欧州で台頭する左右ポピュリズムを分かつもの」週刊エコノミスト2017年2月7日号 吉田徹・北海道大教授(政治学)
作業仮説をもとに要約をする。
- 欧米では60年代までは工業型の対立軸「資本家vs労働者」があった
- 70年代以降ポスト工業型の対立軸が生起してきた。それは社会的(文化)領域での分断であり、「左派ポピュリズム」はリベラル的価値を重視し、「右派ポピュリズム」は権威主義的価値を重視している
- 「左派ポピュリズム政党」と「右派ポピュリズム政党」が、支持基盤を共有することはない
「左派ポピュリズム」と「右派ポピュリズム」の違いとして、重視する価値が違うとの指摘がある。それぞれで重視されるのは、「リベラル的価値」と「権威主義的価値」である。
また、EU離脱の国民投票について、英上院議員アシュクロフト卿が行った調査によると、離脱と残留投票者のうち「資本主義」に対しての支持/反対は半々だったのに対し、「社会的リベラリズム」「多文化主義」「移民」「フェミニズム」といった現象に対する支持/反対が、離脱派と残留派で大きく食い違った。たとえば、多文化主義への反対が離脱派は81%に達するのに対し残留派は19%だった。
ここにいうリベラル的価値に対比される権威主義的価値とはなんだろうか?
ここで、別の論者による「リベラル的価値」と「権威主義的価値」とを対比する記事を紹介する。
左派ポピュリズムと右派ポピュリズムとの違い~「リベラル的価値」と「権威主義的価値」
「リベラル」は、個人の内面の問題について国家が踏み込まないのが基本。その反対語は「保守」ではなく、「パターナル」です。権威主義ですね。故人(ママ)の内面に直結する価値観の問題を、「日本人ならば、こうあるべきだ」「この問題はこう考えなければならない」といったように、上から決めていく。
中島岳志氏は、「リベラル」の反対語を「パターナル」であるとしている。パターナルは、権威主義という意味であると。
上から決めていくことをパターナル、権威主義とおっしゃっている。そう考えるとリベラルとは上下関係を認めないという意味になる?
ちなみに憲法学では、未成年者に対するパターナリスティックな人権制約は許されるのかという議論がある。未成年者はタバコがダメだったり飲酒がダメだったり選挙権がなかったりする。未成年者は高いレベルでの人格的自律性を獲得できていないから、これらの人権制約が認められるのだという議論だ(権威主義的、パターナリスティックな制約)。
今、何の話をしているかというと、右派ポピュリズムが重視する「権威主義的価値」とはなんだろうか?という話をしている。またそこから逆に左派ポピュリズムが重視する「リベラル的価値」とはなにかを考えている。
ざっくり考えると、右派ポピュリズムは上下関係はあるよね(権威というのはあるよね)という考え方だ。今、書きながら考えた。左派ポピュリズムは、権威なんてものはないよねという考え方だ。
左派ポピュリズムは、上下関係はないと考える。自分のことは自分で決めるという考え方だ。未成年者に対するパターナリスティックな制約は認めるにしても、より多くの方が自己決定権をもつべきだと考える。
重度身体障がい者の舩後靖彦氏と木村英子氏が参議院議員となられたことに誇りを感じるならば、あなたは左派ポピュリストかもしれない。わたしは左派ポピュリストだ。
参院が当面負担って、どういう事?参議院議員のポケットマネーなら特殊事情で対応も理解できるが、税金支出ならば、国会議員という職業の障がい者だけが、その他の就労中の障がい者の皆さんと比べて、公的支援優遇となります。立法府がその場しのぎで福祉施策ルールを変えるのはおかしいでしょ! https://t.co/tqSnJiLe3y
— 松井一郎(大阪市長) (@gogoichiro) 2019年7月30日
実際のところ左派ポピュリズムに衝撃をうけているのは誰であろうか?
ポピュリズムとは?
ここまで読んでいただいた方には、『右派と左派の違いはわかった。しかしポピュリズムについてはまだわからない』という方もいらっしゃると思う。
最後にポピュリズムについて考えてみよう。
ここでは上記の吉田先生、中島先生の考え方を真似してみる。ポピュリズムの反対語を仮に決めるのである。
ポピュリズムの反対語としてリアリズムは妥当か?
ポピュリズムの反対語としてリアリズムという言葉をもってくる。これは、ポピュリズムが理想論を語っている、実現性がないという、現在、使われているポピュリズムの意味の一つである衆愚政治という言葉にもつながるものである。
わたしはこの解釈はつかわない。民衆は愚かだと言っているのは誰だ?と考えるからだ。左派ポピュリストとしては使いたくない言葉だ。
ポピュリズムの反対語としてエリート主義は妥当か?
エリート主義。この言葉もポピュリズムの反対語としてはふさわしくないと考える。真のエリートは、民衆を導く存在ではあるが、民衆と対置されるものではなく、民衆の中にいると考えるからだ。ポピュリズムもエリートも本来の意味を損なわれている言葉だと思う。
ポピュリズムの反対語は、政府と、政府とグルになって甘い汁をすっている一部企業についていけば安泰だとする考え方?
このように考えると、右派ポピュリズムの方は、権威というものはあると考えるが、たとえば政府は偉いとは考えるが、間違ったことをしているならばそれはそれで正す人たち、となる。
左派ポピュリズムは、権威というものはないと考えるため、政府の人たちはわたしたちに奉仕する人たちと考え、政府が間違ったことをしているならばそれはもちろん正す人たちとなる。
ポピュリズムは、間違った政治に対する民衆の怒りの声だ、とする。
ひとまずこのように考える。間違った政治とはなにか?と問われたら、統計偽造とモリカケをあげれば足りる。
私は、さっき、分かった。山本太郎が、次の日本の首相になる。このことは、もう決まりだ。
わたしは副島隆彦氏の著書の愛読者だ。
副島隆彦氏の小沢一郎氏への評価にわたしが納得する点は、多くの若い政治家を育てたという点に集約される。この点は、小沢一郎氏への評価を異にする方も事実として否定できない点ではないかと思う。
タイトルの敬称略は支持者の方々にはすみません。岸辺露伴みたいなイメージで決めました。