とりあえず、事件の流れはこちらの記事を参照ください。この記事の最後にも簡単にまとめました。
今回言いたいことは別にあるので、さきにそちらを書きます。その前にまずは、自分の意見というか立ち位置から。
異論あるのは、別にいいと思う
- わたしは、フェミニズム議員連盟の抗議文にも全面的には賛成できない
- ただ、フェミニズム議員連盟が抗議をする自由は認められるべきだ
- フェミニズム議員連盟に対する抗議にも自由は認められるべきだ
- 警察に対する批判の声が、フェミニズム議員連盟に対する抗議をしている方々からあがってこないのは変だ
これはわたしの意見なので、別に自由に発表しますし、反論あれば自由にいただければありがたいところなんです。
Twitter上では、実際に何人かとやりとりをしました。
そこでなんとなく気づいたことがあります。
Vtuberって画面上のキャラクターのことをいうの?
YouTuberさんっていらっしゃいますよね。シバターさんとか大好きなんですけど、YouTuberさんっていうと生身の人間が、演者として、画面上にあらわれるじゃないですか。
これに対して、Vtuberさんは、いわゆる「中の人」パソコンを操作する人がいて、画面上にはキャラクターがうつりますよね。
まず、バーチャルYouTuberとはどのような存在なのでしょうか。
一言でまとめるなら、主に「2Dまたは3Dのアバターを使って活動しているYouTuber」のこと。キャラクターの姿で、YouTube上で動画を投稿したりライブ配信をしたりしている人たちを指して、「バーチャルYouTuber(VTuber)」と呼んでいます。
わたしも同じく「中の人」をVTuberと思っていたんです。
現在の法の適用を考えると、画面上のキャラクターに、権利義務の享有主体性をみとめることはできないので、わたしはすんなり「中の人」をVTuberと思っていました。
画面上のキャラクターに権利義務の享有主体性を認める人がいる
そしてTwitter上では、実際に何人かとやりとりをしました。
その中で、アレ?と気づいたことがありまして
わたしが対話した方々が、画面上のキャラクターに、権利義務の享有主体性をみとめるような議論をなさるんですよね。
これは、議論が錯綜するはずだわと思いまして、この記事を書いております。当然、画面上のキャラクターをVtuberとおっしゃっているんですよね。
そして、このこと自体は、文化的側面としてはとてもおもしろいと思ってます。
【質問です】
— 松村正樹☆彡初心者Pythoner (@masakimatsumura) 2021年9月24日
Vtuberってどっちのことを指していると思いますか?
理由もリプ欄にいただければ幸いです。
また、あなたが感じるVtuberじゃないほうを何と呼べばいいのかもあわせて教えてください!
109名もの方々から投票いただきました。ツイートのリプ欄にも多くの意見が寄せられました。
現在の法の適用を考えると、画面上のキャラクターに、権利義務の享有主体性をみとめることはできないのですが、対話者の多くの方が、画面上のキャラクターをこそVtuberと認識して、画面上のキャラクターに権利義務を与えるのが当然だと感じるこの現象はなんなんだろう?と。
わたしが実施したアンケートは、ほかの方がなさるならば、もっと極端な結果が出るんじゃないかな?と思っております。
人格権は認められないが、人格は認められる
結論としては、Vtuberの定義をはっきりして!ということなのですが、Vtuberさんにもいろいろなパターンがあるんですよね。
そしてその中のVTuberさんの多くは、演じている人自身のパーソナリティが少なからず反映されていると。
つまり、VTuberたちは人間の見た目をしていなくても「人格」を持っており、普通に日常を過ごしている「個人」であり、私たちと何ら変わりのない存在であると言えます。心ない言葉を投げられれば傷つきますし、ファンの声には真摯に答えようとしてくれる──その点は、忘れずに意識しておきたいところですね。
わたしと対話なさった方々がおっしゃっていたのは、これですね。
画面上のキャラクターを「中の人」と切り離してそちらをVtuberとよぶこともできて、そのVtuberには独自の人格がある
これには、別に異論ありません。
俺もケンドー・カシンには独自の人格があると思うからです。本名は石澤 常光(いしざわ ときみつ)なんですが、「中の人などいない」し、ケンドー・カシンは傍若無人にふるまうけど、石澤さんはめっちゃいい人らしいのですが、そちらにはあまり興味ないからね。
ただ人格権は、今のところない。というかそもそも権利義務の享有主体性がない。カシンが外で人を殴ったら、石澤常光が逮捕されるんですよ。
というわけで千葉県警によるVtuber動画削除事件、議論が錯綜する1つの理由は、それぞれがVtuberということばを聞いたときに想像するものが違うから。
もっと言うと、画面上のキャラクターに「人格がある」と言っている人と、画面上のキャラクターに「人格権はない(というかそもそも権利義務の享有主体性がない)」と言っている人のすれ違いなのかなと。
というのも「中の人」がVtuberと思っていたら、「中の人」に人格があり、人格権があるのは当然だから、そんなことはもともと当たり前で何もあらためて考えることじゃないんですよ。
「中の人」がVtuberと思っていたら、画面上のキャラクターに人格を認めるっていう感覚が奇異に思えるのはしょうがなくないですか?ただよくよく考えると、わたしもケンドー・カシンには独自の人格を認めてるなっていうことに気づいたという感じです。
事件の流れの簡単な説明
- 千葉県警が、子ども向けの交通ルール啓発動画に、松戸市のご当地Vチューバーである女性キャラクター「戸定梨香」を起用した。
- 全国フェミニスト議員連盟が、公開質問状を千葉県警などに送付した。「当局の謝罪、ならびに動画の使用中止、削除を求めます」としていた。
- 有志一同名義で、全国フェミニスト議員連盟の行動に反対する「全国フェミニスト議員連盟宛抗議と公開質問状」がウェブ上の署名を集めるサイトに提出された。24日時点で6万件以上の署名が集まった。
- 全国フェミニスト議員連盟は公式サイトで「提出した文書は、公的機関としての認識を問うたものです。当該動画の掲載も、削除も、ともに千葉県警によるものです」と回答した。
こんな感じになるかと。
把握用に置いておきます。
— 中@通知OFF (@naka___35) 2021年9月19日
【フェミニスト議連】警察への抗議文
【千葉県警】議連への返答
【千葉県警】藤末議員への返答
【フェミニスト議連】質問状等に対する声明 pic.twitter.com/BJApibftVS
意見は自由、とはいえ決定権は警察にあるのに抗議側にこんな質問してどーするの?と思ってたけど…結局返信してもしなくてもこうやって怒りを増幅させて追い回すのが目的だったんだと思う。
— 中@通知OFF (@naka___35) 2021年9月19日
もし内容に返答したところで彼らが納得するわけがないし、議連の態度次第で警察が決定を覆すわけでもないし。 pic.twitter.com/92lNGJMWOh
①議連の質問状をどう読むかですが、質問事項に対する回答を期限までに求めており、その「期限までに求めている」質問事項の中に「動画の削除、謝罪その他」は含みません。
— Y.O. (@ochiyasu1) 2021年9月20日
これは普通に解すると、まず質問事項で相手の考えを確認し、その結果議連の主張する「性的対象としての助長」の見方を→続 pic.twitter.com/6vY8wSTXA8
再度、最初の記事に戻っていただきますと、警察は、取材に対し、次のような回答をしています。
戸定梨香を起用したことについて「不適切だとは考えていない」と回答した。
「本来の目的と異なる意図でとらえられることへの懸念や、動画の掲載期間が今月17日で終了する予定だったことなどから県警内で検討した結果、削除することを決めました」とし、同議連の主張を受け入れたものではないとした。
同議連の主張を受け入れたものでないとした
これは警察の回答に対する記事の筆者さんの解釈ということになろうかと思います。わたしも同意見です。そう解釈できますもんね。
いったん採用しておいて、なぜこのタイミングで削除したのか?という問いに対する答えが、動画の掲載期間が今月17日で終了する予定だったから。
要するに、フェミニスト議員連盟の抗議があったからじゃないですよと言っていますよね。
そうであるならば悪いのは警察ですよね
- 警察が、本来の目的と異なる意図でとらえられることを勝手に懸念して、それを発表している(これが一番まずいと思う。撤回を!そもそもなんで採用したんやって話です)
- そもそも削除の決定をしたのは、警察である。
- その判断をしたタイミングは、フェミニズム議員連盟から批判があったからではない
なら悪いのは警察やろって話ですよ。
ひとまずの事件の流れの簡単な説明です。これに対しては、異論あられる方もいらっしゃるかと思います。ぜひ反論をお寄せいただければと思います。