今多くの自治体は、観光客を呼び込みたいといろいろお考えになっていると思いますが、一つの答えがこのブログ記事にあるのではないかと思います。おおげさー。
おおげさだけど割とマジメです。
それは、物語には人を動かすチカラがある、ということです。
わたしを東北に連れて行った、物語がこちら!ドン!
「炎立つ」です!!!!!
経清さまの歩いた土地を歩いてみたい!!!!!
となったのです。経清さまは、「炎立つ」の主人公です!(主人公という表現が正確か?という気もしますけども)
「炎立つ」を今から読む方は、文庫本なら1巻から5巻までまとめ買いをおすすめします。途中でやめることは、難しいですから。
「炎立つ」を読んで以来、一度は、その舞台、東北にいってみたい、と思っておりました。東北の復興のために観光客としてお金を使う、という考えもあるにはありましたが、それよりも行ってみたい憧れの土地でありました。
本当に物語に人を動かすチカラがあるのか(読んだら東北に行きたくなるのか)ぜひご自身で実験していただきたいのですが、現代人は忙しいので、今読むべき本なのか?買って損しないのか?疑い深い方もいらっしゃるかと思いますが……。
今、炎立つをオススメできる理由
明石散人先生によるご推薦
明石散人先生は、炎立つは「歴史書」である、という評価をなさっています。not歴史小説。
明石散人先生は、京極夏彦先生の本に出て来る明石の先生ですね。
下記リンクの対談本にあったのです。「歴史書」と表現なさっていました。
明石先生と、高橋先生は、それぞれ東洲斎写楽の特定について、別の結論を導く本をそれぞれ書かれています。そのことをお互いの説をどのように考えていらっしゃるのか?
スリリングな対談本です。
こちらは作家の大沢在昌氏、京極夏彦氏、宮部みゆき氏の公式ホームページです。
>> 京極夏彦 | 『大極宮』公式ホームページ
宮部みゆき先生によるご推薦
文庫版「炎立つ」全5冊には、巻末に別々のかたによる「解説」がありますが、ぜひ宮部みゆき先生の解説をご覧ください。
宮部先生のちょっとした文章、読むといつもすごい!と思ってしまうのですが、ここでも何が高橋先生にこの小説を書かせたのか?実作者ならではの指摘をなさっています。
ここに人を動かす秘密がある、かもです。
NHKによるご推薦?
大河ドラマになっていますね。
下記は、Amazonへのリンクとなっています。とりあえず、視聴者のみなさまの熱いコメント欄をご覧ください!(^^)
わたしは原作本から入りましたが、SMAPの稲垣吾郎さんも出演なさったりしていて、渡辺謙さん、安部貞任を演じる村田雄浩さん、源頼義演じる佐藤慶さん、その他の俳優さんもすごく豪華な顔ぶれです!
この後はとりあえず旅行記です。ただ、「炎立つ」を読んだ方に多賀城跡を全力でオススメするという内容になっています。
旅のプラン
プランでは、とりあえず金色堂はみる、と。できるならば、衣川の柵や、鬼切部もみたい、と思っておりました。読んだら、行きたくなるでしょう。
読んでる最中は全く理解できていなかったのですが、今回の旅行の前に、位置関係はちょっとだけ把握いたしました。
朝廷側の国府(拠点)があった多賀城(宮城県多賀城市)は、だいぶ下(京都寄り)なんですね。
経清さま(主人公です!)が、せっかく坂上田村麻呂が、胆沢(現在の岩手県奥州市)まで制圧したのに、全てが旧に復している(安倍氏の勢力範囲が拡大している)と嘆くシーンがあります。
この時点では、経清さまは朝廷側の人間なんです。
ここは、今回の旅で、多賀城跡にて、同じことを考えてみました。すっかり気分は、第1巻の経清さまであります。
高速で1時間30分かかります。歴代の陸奥守もだんだん億劫になったのですね。そして朝廷側の勢力範囲は、南の多賀城近辺までになってしまった、という。北で、ひそかに安倍氏の勢力範囲拡大!
スマホアプリ「じゃらん観光ガイド」
多賀城跡を訪ねることができたのは、偶然と言えば偶然でした。
GWということで、宿が取りにくかったこと。
1日目岩手県いわて花巻空港から、2日目宮城県松島に泊まりの3日目仙台空港から帰るという日程になり、
旅行中に気まぐれにダウンロードした、スマホのじゃらん観光ガイドというアプリが画面が見やすかったので、こちゃこちゃ触ってたら、多賀城跡が表示されたこと。
まあ、帰りの空港の時間までの暇つぶし、という気持ちでいってみたのですが、ここが旅行のハイライトとなりました。
アプリでは、そこを訪ねた人のクチコミが読めるのですが、多賀城跡については、何もないと複数の方が書いておられたので、あまり期待しておりませんでした。
到着すると、ちょっとした駐車スペースがあり、車をとめて、高台を目指しました。
「先生」との出会い
結構ふっふ言いながら写真の階段をのぼると、確かに何もない、と言って良いのかな?子供さんを連れたママさんがシートを敷いてピクニックをなさっていました。
その奥に建築物の基礎みたいなものがあり、あれが多賀城を復元したものなんだろうな・・・と。
とりあえず登ってすぐに案内板みたいなものがあり、そこにボランティアの方がいらっしゃいました。学校の校長先生を退職なされたような雰囲気の、優しそうな方でした。
先生「どちらから来られたのですか?」
私「熊本からです」
先生「おおー熊本からですか。それはそれは。ところで、ここには何故来られたのですか?」
私「炎立つを読んだからです!!」
先生は、ニッコリなさったような気がします。
教えていただいた新たな知識として、大宰府、平城京、多賀城は、同じ時代につくられたものだそうです(「大」「太」ここは点がつかなくてもいいんですね)。
なるほど、経清さまの時代よりも前なんですね!
そして手元のファイルをお示しになり、城下町の広がりを教えていただき、また、奥までご案内いただき、発掘の際に出てきた石を教えていただきました。
この時点で大興奮なんですけども、先生がおっしゃった一言がすごく記憶に残っています。
「薩摩隼人の隼人という言葉も、蔑称だったんです(そうですか!知らなかった!)。ただ今は、良い言葉として使われているでしょう?(そうですね)」
私は、先生が次におっしゃりたいことは、分かりました。
先生は、蝦夷(えみし)という言葉が、かっこいい言葉になっていないことを残念に思っているとおっしゃいました。
私は、そこでは言えなかったのですが、言えば良かったと後悔しています。
私は、ちゃんと炎立つを読んでいます!と。
炎立つを読んだら、蝦夷として生きる、ということは恰好良く生きると同義ですよ!と。
ふと思ったこと。地方消滅論について
ふと思ったのですが、伝える人がいる限り、地方は消滅しないんじゃないか?と。
逆に伝える人がいなくなったら、地方は消滅する。
ものすごくおおげさにいうとブログの役割はこういうところにもあるんじゃないかと妄想しました。
埋もれていく、歴史とはなりえないコトバを残していく・・・
そしていつか誰かが(AIが?コンピューターが?)ものすごく大量のブログ記事を全部ひっくるめて考古学的に面白がってくれるかもしれない。それまでとりあえずブログ書いとくっていうのでもいいのかな?と。
わたしでいうと、今の時代の南関町の一庶民(わたし)の暮らしを綴る。
わたしの理論で行くと、わがふるさと南関町は消滅しないことになりました。
Googleさんはいまのところ検索サービスだし、この記事も読まれなかったら人々の記憶にも残らないとは思うのですが・・・
ただ佐々木先生も今の時代を生きておられたら、口授なんかせずに、ブログ書かれるんじゃないかと思います。
いちおう、佐々木先生は、このブログ記事中の先生のことじゃないですよーというところで今回は、これまでっ。
ブログ記事さいごの佐々木先生のくだりは、こちらの本に詳しいです。
ただこの本をご覧になると、自動的に「炎立つ」を読まざるを得なくなると思います(・∀・)